設備設計の役割と責任
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「あなた方のうちのだれが,塔を建てようと思う場合,まず座って費用を計算し,自分がそれを完成するだけのものを持っているかどうかを調べないでしょうか。そうしないなら,その人は土台を据えてもそれを仕上げることができないかもしれず,それを見ている人たちはみな彼をあざけって,『この人は建て始めはしたものの,仕上げることができなかった』と言い始めるかもしれません。」(約2000年前の西暦32年から33年の冬季にヨルダン川の東側付近の地域(おそらくぺレア)で語られた、イエス・キリストの言葉。ルカによる福音書14章28-30節から引用)

  納得のいく話だと思います。

「設計」ということそれ自体、実際にものを作り始める前に先立ってしておくべき事柄です。これは、建築物を作ることやそれ以外のどんなことをするにしてもそういえると思います。自分ひとりですることならともかく、他の人に協力してもらったり、お金を出して雇ったりするのであれば、案や計画性もなく ただやみ雲にスタートするわけにはいきません。ものを作りながら考えていく、ということも確かにあることでしょう。ここはこうしよう、これはこうしたらいい、などです。しかし、それでもやはり実際の行為に先立って「設計」しているに違いありません。

建築の設計が果たす役割や責任は、何といっても「質の向上」・「作業の能率化」・「資材や労力の経済性」・「紛争の防止や解決」といえると思います。当然、設備設計(機械設備設計・電気設備設計とも)も含めてのことです。

「質の向上」:人やものの質の向上のことです。これには関係者のコミュニケーションが大切だと思います。コミュニケーションが不足しているため、実際に作業する方々が張り合っていたり、けんかしながら作業したのでは、いい建て物の設計・施工は期待できないでしょう。相互にわかりあえた上で安全が保たれるということもあります。どんなにりっぱな建て物ができても、人命が失われたり、流血があったりしたのであればその完成を心底から喜ぶことはできないのではないでしょうか。(もちろん避けられない事故もあります。ばん創膏の傷でさえなくそう、というスローガンはいつでも必要です)

「作業の能率化」:省力化、省エネルギー、作業時間の短縮などにもつながります。でも、作業性のよさや能率のよさ・効率のよさを追い求めすぎて、人間らしさ・温かさを捨てないようにしなければなりません。年若い働き人も機嫌よく一緒に仕事ができるようでありたいものです。技術が高い人は辛抱して教えてあげてください。よく説明し、見本を見せ、いいところをぜひ褒めてあげてください。前途有望な若い労働者が職場をやめるとき、一般的には人間関係がよくないというのが根底にあります。人間関係がよい職場では、かなりきつい内容の仕事でも、また少々給料が安くてもちゃんとついてきてくれています。明るく働きやすい職場を作るのは、おもに年長の方々のすることだとわたしは思います。

「資材や労力の経済性」:たいへん大きな地震が来ても壊れない建築物を作ることは可能だそうです。しかし、そのようにすると莫大な費用になりますし、外観も中身もよくはならないだろうともいわれています。今日の建て物は通常の地震を想定して設計されていますが、100年に一度起こるか起こらないかの災害に対しては、そこまで考慮されていません。建築物の耐用年数というものもあります。また、あまりに鋼(こう)なものも作りません。力の逃げが必要なのです。車で橋を渡っていて渋滞で停止したとき、橋がかなり揺れているのを感じたことがあるでしょう。あれぐらい揺れていていいんです。橋がほとんど揺れないように作ることもできるそうですが、そうすると「バキッ!」と壊れることがかえって心配されるのだそうです。こういうことを知らない人は心配されるでしょうが、橋にしても、住宅などの建築物にしてもちゃんと設計されていますから、まずは安心してください。事前の適切な設計があれば、作業工程も正しく組めますから、ものや人の面でも多くの点で経済的になることでしょう。

「紛争の防止や解決」:建て物が建つ場所にもよりますが、おおむね建築物ができると、その周りの日の当たりぐあいや風向きがかわりますし、煙や音・臭気や振動といった問題、テレビがちゃんと映らなくなったとかラジオがうまく受信できなくなったなど障害がおきます。付近の雰囲気が変わることもあるでしょう。設計段階で分かるものもあれば、建て物ができてから始めて分かった、ということもあります。建て物の用途による問題もあることでしょう。みんなに喜んでもらえる、地域になじんだものを作っていきたいものです。

建築物における設備設計は、人々がいかに自分がいる建築物やその環境を愛せるかになるのではないか、と思います。建て物の中で、わたしたちは食事をしたり、それにともなう排泄があったり、また、やすらぎを得たり、仕事や生活を展開したりします。そこはまた教育の場でもありますし、世話や介護もします。家族や友人と親しく接したり、お客さんをもてなしたりします。建て物の内部・外部との通信も必要ですし、個人の安全を配慮することも重要です。快適さを求めるあまり、環境を悪化させることに荷担したくもないでしょう。人が実際に使用している建築物が集まって町や都市となっていきます。

建築設備もこれらすべてのことにかかわっています。そして、社会の重要な部分の一つだと思います。そのような建築設備のもつ役割や責任を認識しながら、わたしも今後ますます研鑚を積んでいきたいと思っています。