松阪市のこと

                                                                                count

 わたしは1992年(平成4年)9月に大阪府枚方市からここ松阪市(三重県)に引っ越してきました。大阪で仕事をしていて車で移動しながら、「大阪府って広いなー」と思っていましたが、三重県はもっともっと広いです。松阪市から熊野市まで現場調査に出かけたとき、午前9時の待ち合わせに間に合うため、5時ジャストに起床し、事務所を20分後に出発してそれでもぎりぎり間に合いました。名古屋市に近い三重県桑名市から、和歌山県の新宮市に近い鵜殿村まで自動車で走ったら(もちろん使えるところは高速道路を利用して)いったいどれくらいの時間かかるんでしょう。

 そもそも、わたしたち家族が松阪にくることになったのは、妻がこの地の出身だからです。よくある理由での転宅です。(三女は松阪市民病院で産まれました。わたしもそこに2回も入院させていただきました)

 歴史とロマンが薫る松阪について小学館発行の「スーパー・ニッポニカ」の「松阪(市)」には一部次のように示されていました。

 「三重県中南部にある市。伊勢(いせ)湾に面し、櫛田(くしだ)川左岸の河口近くに位置する。

1933年(昭和8)市制施行。48年松江、朝見(あさみ)の2村、51年伊勢寺(いせでら)村、52年機殿(はたどの)村、54年花岡町と西黒部(にしくろべ)、港、松尾、東黒部、阿坂(あざか)、松ヶ崎の6村、55年宇気郷(うきさと)村の一部と大石(おいし)、射和(いざわ)、茅広江(ちひろえ)、漕代(こいしろ)の4村、57年大河内(おかわち)、櫛田(くしだ)の2村を編入。近畿日本鉄道山田線とJR紀勢本線、国道23号、42号、166号、伊勢自動車道が通じる。

 

 中心市街地は伊勢平野の南部、阪内(さかない)川と金剛(こんごう)川の間にあって東に開け、西は布引(ぬのびき)山地と三峰(みつみね)山地が迫り、山麓(さんろく)は丘陵地、沖積地となり水田が開ける。海岸には櫛田川、三渡(みわたり)川などが注ぎ、大口(おおぐち)港は古くから水運が発達した。現在は隣接の津港とともに重要港湾津松阪港となっている。

 1584年(天正12)近江(おうみ)(滋賀県)から蒲生氏郷(がもううじさと)が松ヶ島城に十二万石で移封、88年に南へ約3キロの阪内川右岸の四五百森(よいほのもり)とよばれる小高い丘に城を移して松坂城と命名、城下町を造営した。参宮街道、熊野街道、和歌山街道を付け替えて城下に引き込み、松ヶ島の町人と神社仏閣、旧領日野の町人を移住させ、楽市・楽座制を採用して商業発展を図った。

城下町は侍屋敷や町人町を区別し、鍵(かぎ)型に屈曲する狭い街路や古い家並みをいまもみることができる。大口港は物資積出し港で、阪内川は城下と結ぶ水路としてにぎわった。

1619年(元和5)松坂藩は廃藩、以後紀州藩領となった。江戸時代を通じて桑名と並んで繁栄し、松坂木綿、伊勢白粉(おしろい)を扱う松坂(伊勢)商人は全国に名声をはせ、そのなかから豪商三井が生まれた。国学者本居宣長(もとおりのりなが)も商家の生まれで、松坂城跡の松阪公園に生家が移築され、記念館も設置されている。

 第二次世界大戦前は松坂木綿の伝統を継いで紡績業が盛況、これに紀州材・尾鷲(おわせ)材の集散・製材が加わった。戦後は港湾地区にセントラル硝子(ガラス)、東京ニッケル、内陸に松下電器などの工場が誘致された。90年(平成2)松阪中核工業団地が造成された。海岸はノリ、アサリの産地。特産品には肉牛の理想肥育で知られる松阪肉があり、和田金牧場は観光の対象にもなっている。最近手織りの松坂木綿が復活した。特別史跡に本居宣長旧宅・同宅跡、国指定史跡に宝塚古墳、本居宣長墓(山室山、樹敬寺)、向山古墳、南北朝時代の阿坂城跡、国指定天然記念物に不動院ムカデラン群落がある。また国指定重要文化財に朝田(あさだ)寺の木造地蔵菩薩(ぼさつ)立像などがある。人口12万2449。」(小学館 「スーパー・ニッポニカ」 松阪(市)より一部引用)


  松阪といえばやはり、松阪牛とそのおいしいお肉のことが最初に思い出されることでしょう。わたしも家族みんなで賞味しました。実においしい!やわらかい! ペタン!とほっぺたがひざに落ちました。ニューヨークやロサンゼルスまたシドニーで食べたでっかいビフテキもよかったんですが、皆さんどうぞ松阪肉をぜひご賞味ください。選び抜かれた但馬産の仔牛を、本当にビールを飲ませて飼育しています。先の引用に出てきた牧場にも行きましたが、あれほど質の高いお肉ができるのは、何といっても飼育しておられるおじさんたちの牛たちや伝統に対する愛情のゆえではないでしょうか。ぼくはそう思います。ブラシをもってやさしく話しかけながら、いとも大切に牛の体をこすっておられました。そのように扱ってもらえると牛も機嫌がいいはずです。子育てもこうでなければならない,と実感しました。

  松阪には他に、松阪木綿があります。正藍染めの素朴な風合いが魅力的です。知人に松阪木綿でできたネクタイをプレゼントしました。ずいぶん喜んでくださっています。松阪木綿は、今のベトナム(当時は「安南」)から渡ってきたものがこの地で洗練されたものだということです。

  日本中に知れ渡った船形埴輪(日本最大のもの)が宝塚古墳で出土しました。その後二隻目(一部)も発見されました。囲形埴輪の井戸を覆う家の焼き物も発見されています。まだまだ発見は続くのでしょうか。大変興味溢れます。

  「農と匠の里」計画も進んでいます。「農の匠ゾーン」、「農を育むゾーン」、「農の景ゾーン」、「農の恵ゾーン」、「里山生態系ゾーン」などがあります。大きな池もできるようです。楽しみな施設です。

  松阪に転入してすぐに市役所に届出書類を出しましたが、その時に数冊の本を買いました。 「松阪牛 牛飼いの詩」「真珠王ものがたり」「城のある町にて」などです。蒲生氏郷本居宣長のこと、三井家長谷川邸年中の祭事などたくさん興味あることに触れました。松阪にはプラネタリウムもあるんですよ。

  皆さん、ぜひ松阪においでください。

  松阪市のホームページ:http://www.city.matsusaka.mie.jp/

  松阪商工会議所のホームページ:http://www.mctv.ne.jp/~kaigisho/