これからの建築設備は・・・・・・

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近年の工業科学技術、特に通信分野における研究開発や進歩発展はほんとうにめざましいものがあります。それはだれもが認めることでしょうし、だれもがその恩恵にあずかることができなければならない とわたしは思います。こうした技術分野における発展は建築物にかかわる分野においてもいえることです。

最近における建築物の新築やメンテナンス技術にはめざましいものがあり、建築物においてはその高層化が進み、大都会では超高層建築物がいくつも建設されています。また、比較的規模が大きい建築物でも、屋根部分など最上階部分を最初に作っておき、それを順次持ち上げながら下階部分を作っていくという工法が採用されたりする工事現場もあります。驚くべきことですね。

その工法には今も種々の制限があるものの、採用されるなら風雨など天候のことをあまり気にしないで工程が進められますし、ただでさえ危険が大きい高所作業をずいぶん減らすことができたりします。建築物を最上階部分から作っていくという こうしたことは、理にかなったちゃんとした設計図面があるからこそ できることなのであり、そういう方法であっても物事をやり遂げようとする人々の気持ちが一致して初めて行なえることだと思います。

 建築技術の発展に伴い、建築物(*1)の諸設備が果たす重要性もたいへん顕著なものとなってきました。建て物はおー昔のように、ただ雨・風をしのぐことができればよい というようなものではなくなっているのです。建築物と建築設備は、たとえてみれば車の両輪のようなもので、 切っても切れない関係(切ることなど到底考えられませんが)にあります。両者は一体のものとならなければ、いわば「よい建築物」として機能しません。人が居住したり、集まったりするところはもちろん、最近ではただ通行するだけの場所でも、なにか物によって空間が仕切られている部分には空調設備が整えられていたり、通路にも要所にトイレが必要なのはいうまでもありません。都市部において人が使用する建て物に冷暖房やトイレなどがないというのを、あなたは受け入れることができますか。

(*1 展示会にあるようなオブジェとか、橋梁などの建築物は除いて考えています)

  建築設備は,給排水衛生設備、空気調和設備、換気設備、各設備に必要な電力源や照明・通信などのための電気設備、ガス設備、人命や財産を守る消防・消火設備、建て物内外の上下の移動に必要な昇降機設備、遠隔操作や監視を実現する自動制御設備、使用者のための駐車場設備などに大別されます。さて、これからの建築設備は、次のようなものが主流になっていくのではないかと思っています。

(1)高齢者を考慮したもの:以前からも必要なことでしたが、高齢社会の今、十分考慮する必要があります。取付位置・寸法・ものの大きさ・音量・見やすさ・色彩・その他のことが考えられます。

(2)身体障害者を考慮したもの:身体障害の程度は人により千差万別ですので、事前に考慮するのがたいへん難しいことなのですが、みんなが仲良く快適に暮らすためには しっかり考慮する必要があります。この点で周囲の人々の介護は不可欠な要素です。

(3)安全で衛生的なもの:とがっていないもの、角が丸いもの、表も裏も処理が十分なされているものなど、安全な設備・施設・部品などには いろいろなことが関係しています。抗菌処理も有用な技術ですが、バクテリアは悪役ばかりではありません。抗菌処理の技術には、人に有用なバクテリアも寄せ付けないということも忘れないでください。それで、いい面を最大限に利用しましょう。

(4)人と自然にやさしいもの:たとえばフロン規制のことを考えてみましょう。大切なオゾン層を破壊しているなどとは、つゆ知らずにフロン・ガスを使ってきました。前世紀でのことです。真に人と自然にやさしくあるためには、少々の(あるいは、かなりの)不自由を覚悟しなければならないようですが、さて自分にその覚悟はあるでしょうか。あなたにその覚悟はありますか。戦争の原因にならないでしょうか。人と自然にやさしくあるということは、地球規模で扱われるとき、経済体制や社会体制のある部分全体が崩れ去るかもしれない要素を含んだ、大きな大きな問題を伴っている項目です。

フロン・ガスとは大きく違いますが、燃焼という複雑な化学反応の結果生じた煙を ある人が好んで吸引するのはなぜでしょうか。たばこのことです。自分ではフィルターを通した煙を吸うのに、灰皿においたままにした たばこの煙を他の人に二次的に吸わせることにしてもいいですか。人と自然にやさしくあるために、たばこを生産する業界全体を 他の目的に転用させることができるでしょうか。失業者が増え税収が減り、社会問題になる代わりに、医療費が軽減されてバランスが取れる とでもいいますか。人と自然にやさしくあるために個人でできることもありますし、人類全体がたいへん重く、痛い思いをしてでも一致しなければ、到底解決できないこともあります。建築設備もかかわりをもっていますよ。

(5)あまりに電気に頼らなくてもよいもの、省エネを考慮したもの:こんにちの機械設備は とにかく電気がなければ使えません。それゆえ停電時のために自家発電設備があるわけですが、あまりに電気に頼らなくてもよいものも 今後必要となってくるでしょう。自動洗浄の小便器の中には、給水管のお水の流れを利用して水力発電し、次回の使用に備えて充電しておく、というものがあります。新設工事の時、電気工事不要というものです。洗浄使用回数などに一定以上という制限を受けますが、もともと給水管にある圧力をうまく利用するもので、ぜひ採用したいものの一つです。

また、直結増圧ポンプ方式は水道本管の水圧を利用したもので、受水槽・高置水槽を用いない給水方式です。水槽にお水を受けるということは、水圧に関しては、せっかくの本管圧力が“0パスカル”になることを意味していますし、空気や水槽内面に触れたりして清浄水を汚染にさらすことにもなります。ですから、直結増圧ポンプ方式の大きな特徴として、水道本管からの直接のお水が蛇口から得られる、プラス・アルファーの増圧ですむので省エネ効果がある、受水槽・高置水槽がないので省スペースになる、停電しても建て物の低層部には直圧により給水できるので、全戸断水が避けられる、などがあります。

この直結増圧ポンプ方式の各地自治体による採用・導入は、中高層建築物を対象に全国的な広がりを見せています。ポンプアップして給水するわけですから、電気を用います。しかし受水槽方式のように0パスカルの状態からお水を持ち上げる(汲み上げる)わけではない分省エネになります。モーターは絶縁劣化に強い全閉式でインバータータイプがいいでしょう。このシステムの欠点は、水受け部分がないので水道本管が断水すれば建て物側も即時断水せざるをえない、停電時には水道本管直圧部以上の高所部分には給水できない、受水槽方式に比べて本管分岐口径が大きくなり自治体によっては高額の分担金の支払いにつながる、という点などが挙げられます。それでやむをえない理由があるので、病院などの施設ではふつう採用されていません。

(6)時間の要素を考慮したもの:早ければそれでよいというものでもないと思います。人の認識に合わせた、適度のものがいいでしょう。

(7)想定していなかった使用、というものを事前に考慮したもの:危険予知のなかでも実に困難な課題です。表現するのも難しいです。自己矛盾を伴っていることも多く、事故や障害が発生したときには、関係者みんながやりきれなく思う項目です。

(8)便利なもの:使いやすいものです。不便をなくし、まるでかゆいところに手が届く「まごの手」のような設備です。井戸に水を汲みに行くのが毎日の日課だった昔のことを考えると、今の家庭内でほんの数歩あるけば清浄なお水が豊富に得られるのは、ほんとうにすばらしいことです。でも、そのことが日常に溶け込んでしまって、当たり前と思わないようにしたいものです。

(9)その反面ちょっと手間のかかるもの:便利さは人の能力や認識の度合いに合わせたものであるべきだと思います。あまりの便利さに慣れてしまい、かえって人間性を損なう、身体機能を弱めてしまう、というようなことがないようにしなければなりません。ここでも自己矛盾が顔を出してきそうな分野です。

(10)更新またメンテナンスが容易なもの:建築物の耐用年数は、その構造にもよりますが 普通70年から80年くらいで、それにかかわる建築設備の耐用年数は 20年くらいといわれています。つまり、建て物としての一生涯の間に 3回から4回くらいの設備更新が一般的に考慮されているのです。設備更新をするとき、建て物の躯体(※2)にあちこち穴をあけたり バリバリはつったりして、老朽しつつある建て物にとどめを刺すかのようにして設備更新しても、よくないんじゃないでしょうか。すでに電気設備工事で用いられているさや管工法や更新スペースをあらかじめ見込んだ設計が必要だと思います。(更新のためのスペースをあらかじめ見込んでおくことなど、権益上実施しにくいかもしれません。でもパイプシャフトなどに隣接させた物置室を更新時期にあわせて交代ごうたいに使えないでしょうか)

(※2 建て物の構造体のことで、骨組みを指すこともあります)

(11)訳がわかるもの:みなさんの中に、たとえばのことですが、まったく奇怪でその場の雰囲気にどうもなじまない、また、なじもうとしないかのような建築物に ばったり出くわしたことはありませんか。世の中、笑いが少ないので 人を笑かしてやろうというのなら たいしたものですが、ともかく奇抜で訳がわからないものがあります。人を頭から押さえつけるような威圧感を与えるものや たいへんな重苦しさを与えるものもあります。建築設備にしても、ちょっと考えれば訳がよくわかるもの、使用者が使いながら設計者の意図が納得できるようなものであることが必要ではないでしょうか。確かに新奇性のある建築物や奇抜なものを見かけることがありますが、もちろんそのような建築物も 建築物としての必要な条件を満たしているはずだと思います。しかし、別にすべての設計者がやたらと新奇なもの、奇怪ともいえるものを作り出そうとしているわけではありません。(「訳がわからない」のは、もしかすると筆者の見識不足や世間知らずなどが原因なのかもしれません。悪しからずご容赦ください) すなおに訳がわかるものがいいでしょう。

(12)高品質・高品位なもの:たとえば火災時の避難誘導のための音声も 火災発生の初期には女性のはっきりしたやさしい声で、火災発生の事実と避難方向を知らせます。その後、中・後期には男性の声でやや命令口調で避難を呼びかける、といったことに用いられています。知恵のある親切心が感じられますね。

(13)かわいいもの:ほのぼのとした温かさ・落ち着きを感じさせるものです。明るい笑いも生じさせるでしょう。たとえば、洗面器の排水管に「Sトラップ」というのがあります。排水された新しいお水がいくらかたまるようになっているもので、くるりっと1回まわるように管が作られています。このひとひねりの工夫は、排水管特有の臭気をお水でふさいだり、虫の室内への侵入を防ぐなど たいへん有用なものなのです。ですから、このようにSトラップはとても理にかなっている排水器具なんです。Sトラップ本体そのものを見る見方・考え方によってはおもしろくもあり、おかしくもありませんか。人に温かさや落ち着き、笑いを与えるものは、それほど新規性はなくても一向にかまいません。

(14)問題や障害を高度なレベルで解決したもの:すでに公表されている光触媒技術などのことです。太陽光(自然光)はもちろん、蛍光灯の光も有効な反応を見せます。頼もしい技術です。

(15)人の本能や感性になじむもの:人の動線や人体モジュールを考慮したものです。「このようにしてここまできたら、つぎはこうなるはず」、という連続した運動などが関係してきます。イレギュラーな人がいてもいいように、包容力あるものであることが求められます。

(16)安価なもの:ある程度安価でなければ需要は限られてしまいますし、市場性・発展性は望めません。裕福な人たちだけが利用できるものなら研究開発・製造販売はやめましょう。

(17)使用者・利用者にいくらかの道徳を求めるもの(治安対策も含む):ものを大切にする「善良な使用」があってはじめて 設備機器はその機能をよく果たせるものだと思います。これは心の問題です。設計者にも使用者にも関係してきます。いくらよい設備や機器類があっても、操作する側の人によって大切に扱われないなら、設備はその寿命をまっとうするどころか、突然死を迎えることになります。これは誤って便器内に落し物をして 排水つまりを生じさせてしまったというような、いわば注射や手術ですむものとは質的に違うものなのです。

(18)その他:うーん、何ともいえません。まだ何か足りない気がします。もっと勉強し、本を読み、考えたいと思います。

たいへん大ざっぱな言い方にとどめざるをえなかったものもあります。どうかご容赦ください。

  科学技術の発展の著しい現在,給排水衛生設備においても,新しい機器やシステムがつぎつぎと開発されています。自動洗浄便器もかなり一般化してきました。自動洗面器は、手を差し出せばムースせっけんが出てきますし、少し手の位置をずらせばお水が、もう少しずらせば今度はドライヤーの温風でぬれた手を乾かしてくれるのです。一連の行為が洗面器のボールの中で完結できるのです。ハンカチを持つことはなくならないと思いますし、あまりに便利になりすぎてしつけがおろそかになるのでないか、出したら出しっぱなし、開けたら開けっぱなしになる、など賛否両論があることは確かですが、完全無接触で手がきれいになることがわたしたちの周りの世界ですでに実現しているのです。

  複雑になった技術に対応して、さまざまな法規制を受けた設備機器が開発されてきました。ボイラーや往復圧縮式冷凍機などがそうです。一方、法規制の適用を受けなくてもすむ温熱源装置や冷熱源装置が開発されてもきました。設置しやすく、維持管理にも特別な資格が求められていません。自動制御の面でもコンピュータ制御の普及などに見られる通り、めざましい技術革新の結果、現在ではボイラー技士免許(特級・1級・2級)や冷凍機械責任者免状などの法的な資格がなくても、ビル設備の管理業務に従事することが可能となってきました。その職務内容は肉体労働的なものはほとんどないもので、監視係・記録係的な業務となってきました。それがいいことばかりだとは思いません。程度の軽い修理などは自分で工具を持ってすぐ必要な対応を取ること、つまりすぐに人に頼まずに自分で修理をする、少しの肉体労働も必要不可欠なのです。

  高度に複雑化し,あらゆる面で電気に頼る生活。大きな落とし穴が そこ、ここに潜んでいるとわたしは思います。危ないことです。法律で規制できる範囲をすでに超えてしまっています。技術の進歩発展は人の心にまで深く根ざす事柄にかかわっているからです。心を法律で規制することはできませんし、できるはずはありません。心を内在する各自本人も、自分の心を制御できないときがあります。よい基準を持って正しく心を訓練しなければなりませんね。